何かがはじまる     旭爪あかね

 ある若い人が、「ひきこもり」の体験を素材にした私の小説を読んでくれた。そして言った。「僕たちは、懸命に働いているのに報われない。この主人公は、働かず親の金で生活して、うだうだ悩んでいるだけ。共感できない」。

 働いて、あるいは働きたいのに働く場所が与えられなくて、ぎりぎりの状況のなかを生き延びているたくさんの人々。彼らにとって、働きたいと願いながらも足を踏み出せず、ひきこもっているかつての私のような存在は、目障りな侮蔑の対象でしかないのだろうか。

 彼と私の境界を凝視するうち、気づかされた。休む間もなく働かされている人も、働かせてもらえない人も、働くことができない人も、「この世から消えてしまえたら、楽なのに」と感じる瞬間がある、ということ。働き過ぎて心や身体を壊してしまった人も、この世に自分は無用だと感じさせられている人も、働くために行動するのが怖くなり、ひきこもってしまうことがある、ということ。ひきこもったまま外に出るきっかけがつかめず、生活が困窮していく人が少なくない、ということ。

 十数年前、閉ざされた場所に身をすくめていた私は、世界に自分はひとりぼっちだと感じていた。働く意欲があるのに生活が立ち行かない人々は、長いあいだ、それは自分に運と能力がないからだと思い込まされてきた。






  この世界に存在することができてうれしい、と感じられないとき、自分をいとおしいと思えないとき、私たちは、たくさんの人が自分とおなじ気持ちでいることを知る必要がある。そして、このつらさは自分ひとりのせいではないということを理解する必要がある。仲間の集うところとは、まずはそのことに気づかせてくれる場所なのではないか。すべてはそこからはじまるのではないだろうか。

 働いても働いても報われないと憤った彼は、いつ首を切られるかもわからない激しい生存競争の波のなかを、必死になって泳いできた。外に出るのが怖くて働けなくなった私は、評価と競争の価値観に煽られ、振り落とされたこぼれ者だ。苦しみの根源はひとつだと知ったとき、分断されていた彼と私は、眼と眼を見交わす。私は、おそるおそる手を差し伸べる。その手を彼が取ってくれる、と信じたい。

 いまやありとあらゆる場所で、数え切れないほどの人たちが、すでにこのはじまりの地点に立っている。長い孤独な煩悶の果てに、私たちは見る。ともにめざすことのできる新しい地平が、暁の光に照らされているさまを。


      あけまして おめでとうございます

 ひのつめあかね  1966年生まれ。日本民主主義文学会員。
 小説『稲の旋律』が映画に。『アンダンテ〜稲の旋律』今春公開予定。