◆第44話 2006/12/15

甘藷先生

「甘藷先生」の墓
  木枯らしが吹きはじめると、焼芋の季節である。

と言う訳で、サツマイモ(甘藷、琉球芋、赤芋とも言う)を普及させて、江戸の人びとを飢饉から救った「甘藷先生」こと青木昆陽の墓を訪ねた。

場所は目黒不動(龍泉寺)の裏山。昆陽は自ら「甘藷先生」を名乗り、生前にお墓に刻んだと伝えられる。

毎年目黒不動の縁日(一〇月二八日)には、墓前で「甘藷祭り」が行われる。

昆陽は日本橋の魚問屋の生まれ。京で蘭学を学び、大岡越前守の知遇を得た。
八代将軍吉宗の命を受け、甘藷栽培の研究を行って成功し、芋の効用を記した『蕃藷考』を発表したのが一七三五(享保二〇)年だ。

原産地・中米から種芋を持ち帰ったのはコロンブスである。琉球を経て日本に甘藷が入って来たのは江戸時代の初期。後に、鬼平の時代頃から江戸は焼芋ブームとなり、「八里半(九里=栗に近い)」「十三里(九里四里うまい)」などの看板が立つようになった。
(元全信労芝信従組 福田克己)