◆第31話 2005/11/15

         汽笛一声

復元された旧新橋駅
 江戸の後期、オランダ商人が、将軍に模型の汽車を走らせて見せている。燃料はアルコール。おそらくこれば、日本人が見た最初の汽車だったろう。

 明治になって、新橋と横浜の間に鉄道を敷こうという計画が持ち上がる。当時は日本の幹線を東海道とするか中山道とするかの結論が出ておらず、とりあえず「見本」として作ろう、という話であった。
 日本の鉄道を「狭軌」と決めたのは大隈重信で、鉄道技師モレルに対し、「日本は小さくて貧しい国だから、狭軌がよろしかろう」と指示を出したのだという。

 二年後、天皇を乗せた一番列車が、祝砲と「万歳」のどよめく中、「汽笛一声」新橋(汐留)を離れ、横浜までの二六キロを、五三分で走りぬけた。

 当初の駅を復元させた建物が、汐留「シオサイト」のビル群につつまれて建っている。新橋駅から三分、銀座通りをこえた所だ。また、同駅から「ゆりかもめ」口の外には、「鉄道唱歌の碑」がある。


                            (元全信労芝信従組 福田克巳)