◆第30話 2005/10/15

         鹿 鳴 館

鹿鳴館は正面ビルの地に
 
 チョンマゲを切った日本人が、「明治」という年号にようやく馴じんだ頃、白亜・欧風の「鹿鳴館」が今の帝国ホテル右隣り(大和生命所在地)に出現した。明治16年(1883)11月のことである。

 ここで、着飾った華族、外国人公使、お雇い外人らが連夜、舞踏会を催した。主催は外務ク井上馨。日本の文明開化度をアピールして、安政期に結んだ不平等条約を改訂しようという涙ぐましい策である。

 鹿鳴館の印象を、「新しくて白ピカだが、わが国の温泉地のカジノみたいだ」と酷評したフランス人がいた。

 「床がギシキシして、いつ抜け落ちるか気が気でなかった」「若い女性が少なく、なぜか老をとった女性ばかり踊りに来る」といった外国人の記録が残る。 一方、夜会にはチョンマゲ、燕尾服という出立ちで現われる人もいたらしく、「田舎の神官にもやありけんか」と、当時の新聞は嘆きの記事をのせている。

                            (元全信労芝信従組 福田克巳)