◆第19話 2004/11/15

           「 両国橋 


盛り場だった両国広小路あと
  徳川家康は戦略上、千住大橋以外には隅田川に橋をかけなかった。

 ところが、あの「明暦の大火(振袖火事)」(1657年)である。

 本郷・本妙寺から燃えひろがった火は、またたく間に江戸の3分の2を焼きつくし、江戸城天守閣をもペロリとひと飲みにした。

 火に追われて大川(隅田川)方面へ逃げて来た人々は、橋がないばかりにあるいは焼かれ、あるいは水に没し、10万余の命が失われた。

 さすがの幕府も、ここに至ってはじめて大川への架橋を決断。大火の四年後に浅草御門側から本所側へ「大橋」(当初の名)がかけられた。後にこの橋を「両国橋」と呼んだのは、江戸と下総を結ぶ橋という意味からである。

 橋の西詰(浅草側)を「両国」と呼び、東詰(本所側)を「向う両国」と呼んだ。橋の東西には火除地(ひよけち)として広場を作った。この広小路には芝居小屋がかかり、大変なにぎわいを見せた。

                            (全信労芝信従組 福田克巳)