◆第6話     「オランダ商人の宿」

 徳川外交の土台となった「鎖国」。この政策のカゲにオランダの暗躍があったことは有名だ。

 「ポルトガルは、日本への領土的野心から、キリスト教布教と貿易を不可分だと言っているのです。」

 一六二〇年(二代将軍秀忠の時代)に、オランダはイギリスとともに幕府にこう中傷している。
 キリシタン弾圧に血まなこだった幕府は、これを受け入れた。一六三三年の第一回鎖国令から三九年の第五回鎖国令(ポルトガル船の来航禁止)まで、鎖国は段階的に進められた。

 もちろん、外国貿易を幕府が独占して利益を得たいという狙いと一体である。

 オランダは、日本貿易をほぼ独占する。彼らは長崎出島から、年一回(後には四年に一回)江戸幕府へ参府(あいさつ)するよう命じられており、その江戸での定宿が日本橋室町三丁目交差点際の「長崎屋」(新日本橋駅4番出口)であった。

当時、宿の前は物見高い人々が群がったという。  (全信労芝信従組 福田克巳)