◆第5話     「江戸・切支丹屋敷」

 徳川家康は、江戸開府当初キリスト教の布教を黙認した。ポルトガル船などとの交易が大きな利益をもたらしたからである。
 当時、国内の信者は七〇万人台に達し、しかも、布教の狙いは領土的野心によるものだと言う人々もあって、家康も心安らかではなかったようである。
 舞台暗転。弾圧と殉教の時代が、すぐやってきた。江戸における弾圧の拠点がここ「切支丹屋敷」である(文京区小日向一丁目二四番 地下鉄「茗荷谷」駅から一五分)。
 宗門奉行・井上筑後守の下屋敷のあったところで、ここで、多くの血が流された。
 碑文の立つ家の奥さんが「よろしければ」と渡してくれたコピーは、ここで殉教者として死んだシドッチ神父等を記念する碑文(摩滅のため判読不可)の写しであった。
 そこには、和漢学者・新井白石が、この切支丹屋敷でシドッチ神父を訊問し、それを『西洋紀聞』に書いたことが記されていた。(全信労芝信従組 福田克巳)